自然体を身につけられると驚くほど生きやすい話

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なにかしらの悩みをかかえている人が多い。

悩みは頭の緊張であり、意識の緊張。頭が緊張すると身体は力の入らない抜け殻になってくる。

抜け殻になってしまうと仕事にもメリハリがなくなり、人付き合いにも億劫になってきたりする。

精神症状が過度になると、より頭は緊張し身体は動かなくなる。

悩みの種を根本から改善には【自然体】が有効です。

自然体とは?

この言葉には、昔の日本人の武の心からルーツがあるとのこと。攻撃にも防御にもすぐ行動できるニュートラルな状態のことを指す。

力んでいたり、緩みすぎていたら相手の行動に対応できず勝負に負けてしまいます。大振りで殴りかかっても後隙をつかれて負け。相手の攻撃が自分に当たってから気付いても負け。

ニュートラルだからこそ、臨機応変さや瞬時にいろいろな対応ができる。

身体感覚が鋭い武の文化から出た言葉なわけで、言葉の基礎は意識でなく身体から由来されたとてみてもいいでしょう。

身体から由来される言葉が時代を経て、精神だけの状態を指す言葉になってきているような気もしなくもない。

まあ意識も身体も同じようなものなので当てはまります。

他者に飾らず、自分に飾らず、素直な様子ことを【自然体】といいます。

  • 人や物に対して過度に比べることが少ない
  • 柔軟な対応
  • 自身を理解している
  • 協調性がある
  • 意識で縛らない
  • 足腰が強く踏ん張れる
  • 腹が据わっている

ある程度の秩序、ある程度の関係性の中で上記の状態にあることが理想です。

自然体ではない状態は苦しい。

適度な緊張感を持ち適度に弛緩し、場の状況に調和できていたら十分です。しかし、過度な緊張、場に適していない弛緩は、場の空気を悪くするだけでなく自分自身を壊していきます。

たとえばですが、学校の部活で9割の部員がやる気マックスなところ、1割の部員はそっぽを向きサボっていたら全員がまとまるわけありません。

この場合は1割の部員はさっさと辞めて調和のとれる場に行くべき。調和がとれたらハッピーで、残りの9割はもっとハッピーになります。

どちらが善でどちらが悪というわけでもありません。

自然体になれない人は、自然体になることを学ぶ経験がなかったり、過緊張をすることで身体と空間のバランスをとることを学んでしまった可能性があります。

過去の私が完全にコレでした。なにをやってもうまくいかない、精神も肉体も貧弱でしたがそれ自体が「普通」だと思い込んでいたのも事実。

意識を変えるには、まずは身体から

どの人にも自分自身が【自然体】になれる物、相手、空間、時間があるはずです。身体は潜在意識的にも自然体を求めるので無意識にそういった時間を設けようとするはずです。

  • 人が苦手だから、一人で居られる時間を作る
  • 自分に合う色、素材の服飾をまとう
  • 満員電車が苦手だから、自転車通勤をする
  • 対面で話すのは苦手だけど、SNSでは自分の意見を言う

など、皆さん無意識で選択しますよね。

意識的に「なにかをしよう」と心がけていたとしても自分の歪みが強く反映されている状態では対して成果を生みません。歪みは緊張と弛緩のバランスが崩れたときに身体の一部を過緊張させてバランスを保とうとするため。

良くないバランスのまま「なにか」を50やっても、良いバランスのまま5やる方が圧倒的に成果が出ます。

完璧主義とは言いませんが、やるからには脳にとっても身体にとっても成長になる作業が健康にも良いとされます。

例えるなら 、やる気のないまま仕事をするより、やる気や信念を持って仕事をする方が職場に馴染めるし楽しいはずですよね。ってこと。

身体を【自然体】の状態にさせることができると、意識も【自然体】になるのでまずは身体をそれに近づけましょう。

手っ取り早くこの状態になるには、限界まで運動することです。限界まで運動をするということは自分自身の筋肉の硬さをとることに繋がり、また柔らかすぎる筋肉は適度なハリ感や潤いを取り戻すのです。

必須条件としては頭の力が抜けていて、下半身に血液が充満している状態。

感覚としては、【なにをしているわけでもなく、ただ心地よい】という感覚です。また、人によっては【愛】を感じたり、【愛を与えたい】と感じたりします。

スポーツや運動をしている方には分かりやすいと思います。

おススメなのは、サウナと水風呂を3~5回ほど繰り返すこと。サウナの効用は普段使いすぎて硬くなっている組織を緩めます。水風呂の効用は普段使えなすぎている組織を活性化させます。

つまり先述の運動と同じで、身体の構造を手っ取り早く変化させる方法です。

運動やサウナ往復後の自分自身の身体を味わってほしい。普段人に対して気を遣いすぎている人の場合は、もっともっと気楽に接することができるはず。

仕事に対しても集中力がつき、適度な緊張感を持って励むことができるでしょう。

運動することによって、身体の無駄な緊張がとれるので、それは心地いいことこの上ない。身体に無駄な緊張があると中途半端に余裕ができ大脳は思考をしたがります。それが雑念になり体を抜け殻にさせる始まりとなります。

身体の緊張を取り、余裕をあえて消すことで大脳には思考できる余力すらなくなります。この状態になるとシメたもので雑念はなくなり、【思考したいときには思考】し【作業するときには作業】をするようになります。思考と作業を合同でしてしまうとどちらも集中できず結局は自分の身体を壊す時間になってしまうのです。

赤ちゃんを見習う

子供と接する機会があればチャンス。年齢が若ければ若いほどよく見てみましょう。言葉を話せるか話せないかの頃がベストです。

ふわふわしていて、もちもちしていて、天真爛漫で純粋です。肌や筋肉や骨までもがバランスが完璧でみずみずしい。歪みはほとんどなく、まさに天使です。

誰に対してもなにも気を遣わず、超自然体。無意識で動き自分自身の欲を忠実に表現する。

愛を感じたときには笑い、怖いときは泣き、なにかを訴えているときは泣き、腹が減ったら泣き、 用を足すときには勝手に。

歳を重ねれば重ねるほど【歪み】をつくることが大事で必要だとわかってくるので除々に【自然体】ではなくなり天使から程遠い、我々のようなヒトになっていきます。

社会人は社会のルールの中で生活しなければなりません。他人に迷惑をかけない。秩序を保つ。税金を納める。etc

全てを完璧にこなすなど不可能に近い。「心地よく」、「ほどよく」、「なんとなく」、「なんとかなる」、「まあまあ」、という意識状態が最高に生きやすいです。この感覚が、社会人からすると【赤ちゃんに近い感覚】で身体も意識も開放的になりやすい。

時には、逆も。「絶対やってやる」、「私がやらなければならない」、「達成しないと次のステージにはいけない」という背水の陣的な。三国志の武将的な。

ぶっちゃけ、どちらの選択をとってもリスクというリスクはあるようでまったくありません。

どちらの意識も境遇や事象にあわせて臨機応変に対応できる、そんな身体の使い方や頭の使い方が柔軟だと生きやすい、ということが言いたいです。

おわりに

身体の使い方というのはとてもシンプルです。こうやったらこうなるという数学的方程式があるため。

運動力学やスポーツ科学は、骨の内部の圧力分布、関節の最適解に近い角度、運動方向やベクトルなどかなり進歩しているそうです。

近い将来、最適解の使い方を学ぶことが必要とされるかもしれません。しかし、身体の感覚がなければそれを学ぶことが難しくなります。

感覚と運動は常にセットで感覚がなければ運動できないし、運動ができなければ感覚はついてきません。自然体の感覚で日々を過ごすことができると身体の基礎中の基礎である身体機能の最低限の土台を強力にさせることができます。

自然体でいられるようになると、特に視野が広がります。意識している状態というのは「木を見て森を見ず」です。「森」を見ることができたら楽な生活が待ってます。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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