整体をしていて、嬉しい瞬間

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この仕事をしていて嬉しい瞬間のひとつが訪れました。

「これはどうですか?」「あれはこうしたほうがいいですか?」「私はこう感じるのですが先生はどう感じますか?」とある患者さんからの質問。

この質問だけで感動してしまいました。Kさんは、律儀な方でお堅いお仕事をされておられますが素直な心をお持ちです。(おこがましくてすみません汗)。仕事からくるストレスで心身が強制緊張状態へ。

こうなるとご自身で力を抜くというのは、なかなか難しい。かれこれ4年ほど2、3ヶ月に一度のペースでお見えです。以前に比べて緊張状態はだいぶ解除されご自身でも感じられているとのこと。

ようやく一線を越えてくれたようです。こここまでくると安心です。

中期でみるビフォーアフター

口から出る言葉が以前に比べて確信をつく、魂の乗っかった言霊へ昇華していました。身体感覚の正常化(ありのまま感じられるほどの余裕が最低限備わった状態)が進んでくるとこういうことが起こります。

自分自身の身体に意識が行き、不調になる前の段階を感じ取れるほどの感覚へようやくなって(戻って)くれたようです。客観的に自身をみれるというのはかなりの財産ですよ・・・

文字通り、この技術?業?はお金で買えませんからね。武術の修行と同じく、意識を焦点化して模索しても、勉強しても簡単に身につくものでもありません。

しかし整体は施術者が、受け手の身体へそれが身につくようレールへ乗せます。

これにはもちろん施術者と受け手側の信頼関係の相互関係を含みますが、以前に比べぐっと身体を使いこなせるようになったからこそ。

施術により身体感覚が正常化してくると、正しく感じられるようになります。その次に動きの正確性が増してきます。その次に内臓に余裕が出てきます。その次に精神活動の変化が出てきます。ここまでくると話す言葉や思考のパターン、情報の取捨選択が上手(その人にとって腑に落ちること)になります。

それぞれフェーズがありますが、感覚情報(入力)が正しいから運動機能(出力)が正しくなります。なにかしら歪みがあると感覚情報にズレが生じ、運動機能もズレてきます。

【私はこう動いているはずなのに、違う動きになってしまっている】ということになってしまう。

歪みがたくさんある状態というのは、どうしてもいろんなことが腑に落ちない。

音、色、嗅、味、触、が納得いかない。しかし施術を受けていき、歪みがとれてくるとすべてが鮮明に正確になる。感覚が正確になった瞬間にはどの方も感動されます。

「これが赤色か!」

「いつも食べていたご飯を始めて味わった!」

「風はこんな音しているのか!」

といった感じに。この段階へ進めるほど余裕のあるお身体の方はなかなかいらっしゃいませんけど笑

おわりに

整体には終わりはありません。「いつまで通ったらいいですか?」とたまにご質問されます。

これには大前提としては「あなたのお悩みが消えるまで」があります。更に細分化すると答えが二つあります。まず一つ目。

施術を進めていく上でさまざまなフェーズがあります。そのフェーズにあわせて受け答えをしていますが、一つの着地として、【自分自身で身体を管理できること】としております。これさえ身につけば自分自身でなにをやれば身体が変わるか、なにをやれば目的を達成できるか。

それがわかりますしできるようになります。(誇張ではない。)しかし、まあこれが、何段階もあるわけですが、、、仮にポケモンのようにレベル2~100まであるとして、レベル2の人がレベル3へ。レベル50の人がレベル80へ。みたいな。低いよりかは高いほうがいろんなことができるようになる。

しかし、希にレベル120の人がいる。そんな方はまわりのレベルに合わせて「爪」を隠さないとエライ目にあうので注意笑

身体はあなたの身体です。あなたはあなたの人生の主役なので、あなたが人生の舵をとれることが、あなたのためになるということを私は知っています。

なにかしらの壁にあたったときは、その壁を乗り越えられるような身体を作るサポートが私の仕事です。

そして二つ目。

すみません、私の技術、話術、理解力、含め総合的な力不足です。涙

その質問をさせてしまっている時点で、私の力量不足なのです。精進いたします!><

目的がずれてしまっていたり、同じゴールが見えていなかったり、、、

基本的には、来たいときにはご来院を。気分でないときには逆に来ないほうがよかったりもします。

おわりに、その2

この世は時間と空間に縛られているので、時間が進んだら身体も変化しなければならない。これは本能的な機能がやってくれていますが、本能的でない意識が本能を遮っているとすれば、、、?本能の機能はみるみる衰えます。時間が進めば進むほど窮屈に、生き辛くなっていきます。

この世に善悪があるといえばある。ないといえばない。これは真理だと感じています。たとえば整体でレベルが上がりいろいろなフェーズも体感できました。しかし、悩みは絶えることはない。これは真理の一面だと思います。悩み=目的を阻むもの、という方程式。これを悩み=そのフェーズなりの脳の活動、とすると悩みが悩みそのものではなくなります。

善側からみた善は→善

悪側からみた悪は→悪

これは易の概念そのものです。善悪の片方ににしばられる人は善悪の片方に殺されるという。善という概念は悪があるからこそ存在しています。逆もしかり。

善悪がセット。両面があるからこそその概念が証明される。。。

漢字をみるとわかりますが、悩みという字は心と脳の右側を書きます。脳は物理的な肉体のこと。ニクヅキがリッシンベンになっているものが悩です。脳は右脳左脳とありますがそれぞれ機能が違います。右脳は主に外部世界(身体の外)の認識。左脳は主に内部世界(身体の内)の認識。

悩みの字は、心と右脳の機能がずれているということを現しています。本来身体は、頭(思考)、心(情)、精神(意思)で統合されています。統合されている段階はなにも悩みはしない心地よい安定感があります。

しかし外部世界にイラダチや不安があると?それは右の脳が過剰に作動して、左の脳と統合がとれなくなるということがおきます。

逆に内部世界にコンプレックスや、嫌悪感があると?それは左脳が過剰に作動して、右の脳と統合がとれなくなるということがおきます。

ようは、右脳も左脳もでしゃばっては、悩んで苦しむのは自分ですよと。悩みなんて、身体が正常に機能しているかぎりはないのですよと。

くう、哲学の説明はとんでもなく難しい><笑

まあ

冷え、こり、痛み、不安、恐怖、etc

なにかピンと来た方はお問い合わせを。笑

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