先月の中旬より、立禅をかかさず実践しました。
以前より立禅の存在こそ知っていましたが、ここまで真面目に取り組んだのは初めて。
膝下である下腿を100%使いこなせるようになるための鍛錬法です。
初日は1回目の絶望を味わった。
師匠から「君も立禅やるかい?」とフランクに言われ、二つ返事でいざ体験。
「まずはこの状態で1時間やってご覧なさい」と、実際にやってみせていただいた。
師匠自体、とんでもないご経験を重ねておられます。修行の全容を知らすことより、まずやらせてみるという指導のセンスが顕れています笑
足を肩幅に開き、ストンと膝を落とす。
このまま永遠にキープするというものが立禅。
僧侶でも武術家でもないので、瞑想や祈りは省きました。
自宅にて実践。「え、これだけ?これは永遠にできるな、ちょろいな」と感じました。
安堵も束の間。30分経過後、膝が震え始める。
「これは絶望だ・・・この状態であと30分もやるんか」
と、30分前とは比べ物にならないくらいの疲労度が。
身体をモニターし確認すると下腿に圧を加えているというよりも、大腿であるふとももまわりを使っていた模様。
下腿を鍛錬するはずが、大腿を鍛錬している。しかし、大腿が疲労度MAXになるとオートで下腿の使い方に切り替わる。それを待つしかない。
膝が震えだして、それに耐えた。更に20分経過したころに突然、下腿の使い方に切り替わってくれた。
「なるほど、これが下腿のみで立つ感覚か」ととても納得いきました。
大腿で立っているときと、身体の感覚も脳の使い方もはるかにクリアになることを実感。
疲労を超えて、歪みが取れ、モードが切り替わる様は快感です。
初日は下腿で立つ感覚を10分前後しか感じられませんでしたが、これでOK。新しい感覚を手に入れたところで、すぐに馴染み使いこなせるほど賢い脳ではありません。
使いこなすには反復をすることが有効です。人生はじめての1時間の立禅でとても大きな経験をしました。
師匠は、私が大腿で立っていることをもちろん知っているし、下腿を目覚めさせるために立禅をすすめてくれたでしょう。
反復の連続で身体に叩き込ませる
初日で得た感覚をフィードバックし、いざ2日目。
感覚を掴んだとはいえ大腿の使い方が染みこんでいるので、まずは大腿が疲れきるまで立禅。
20分前後で大腿から下腿の使い方へ切り替わりました。
下腿の時間が増えることで、いよいよ本格的な立禅スタートなわけです。
そんなこんなで2日目も無事終了。大腿を疲れさせてから下腿の使い方を、という流れでこなしていました。
1週間を経過したころにある変化が訪れました。
なんと呼吸がおそろしく深くなっているではありませんか。それはもう歓喜です。 立っているとき、下腿を使うことに身体全身が馴染んでくれた証拠です。
理想の身体の状態のひとつとして、【立っているときは下腿の反射のみでバランスを取る】というものがあります。
下腿を使いこなせば使いこなせるほど、大腿から上半身は不必要に力むことが減ります。
逆に、下腿が使いこなせない場合、【立っているときに上半身を力みまくってバランスをとる】ということが起こります。
力みまくった結果、緩めることができなくなります。
脳にとって緩める選択は皆無で、他に硬めることができる組織をスキャンしバランスを補強しようとします。
その力みが肩の場合→肩こり
その力みが腰の場合→腰痛
その力みが頭の場合→頭痛
となります。
私の場合は立禅を1週間やり続けた結果→内臓が緩み背中が緩んだことになります。呼吸も深くなり、上半身が緩み、生活そのものがとても楽に感じましたよ。「これだけ不要な緊張を今までしていたのか」と立禅と師匠に感謝です。
そして更なる試練が・・・
機能が変化してからが勝負!
身体の今までの歪みが取れた→楽で心地いい→新たな深部の歪みが出現
鍛錬や整体を続けていくと今まで対象としなかった(気付くことがきなかった)新たな歪みが出現します。
体力がつき、治癒力も上がり、能力が上がっている証拠でもあります。
これは欲に似ています。
年収200万の場合→それなりの生活、それなりの趣味
年収500万の場合→ それなりの生活、それなりの趣味
年収1000万の場合→ それなりの生活、それなりの趣味
年収は違えど、生活環境は違えど、悩みの属性は同じというか。
肩こりが解消→肩が楽になったおかげで他の歪みが気になるようになった。
腰痛が解消→痛みがなくなり、左右差が気になるようになった。
左右差が解消→筋骨格系が整ったおかげで、内臓の硬さを感じるようになった。
この経過を感じ、時間や空間を超越した感覚が手に入れることがとても重要です。この感覚を手に入れることで、悩みをかかえている人は悩むことのない生活を手に入れることができます。
どんな悩みであれ、悩みがあるというのは、たったひとつの事象に支配されていること他なりません。
「悩み」がある限り、永遠に「悩み続けます」。悩みというのは自分で作っているだけですので、【そういうもの】と捉えることで開放されます。
話しがそれました。戻します。
これまで1週間やってきた立禅と、これからやる立禅はまったくの別物に変わるので更に気合を入れなければなりません。
身体の機能が変わると、変わったなりの辛さがでてきますが、ぶれることなく実践します。
立禅は「ただ立つ」ということで実に優れた鍛錬法です。逆に「ただ立つ」以外のことを「してはならない」という意味でもあります。
思考してもダメ、歌を聞いてもダメ、動いてもダメ、話してもダメ。
雑念がありすぎる人には酷かもしれませんね。
集中力がとぎれない時間を明確化して取り組むことをお勧めします。5分でも10分でも集中することが大事。
立禅を取り組むことで集中力を養うことも可能です。
不安定時期による追い討ち
鍛錬や練習など、なにかに取り組んでいる場合必ずと言っていいほど【流れの決まり】のようなものが起こる。
既存の身体バランスが壊れて、新しい機能バランスに落ち着くまで一定期間あるものです。
既存のバランスというのは歪みに守られていて平穏。
↓
立禅を続けることで既存のバランスそのものを変化させたほうが都合がいいと判断。
↓
既存のバランスを壊す。(心身が不安定になる)
↓
除々に安定し平穏。
私の場合は10日~25日目くらいまでがとてもしんどかったです。
これは大学生が新社会人になるときに【今までの生活を断ち切って腹をくくる】感覚に似ています。
「大学生活楽しかったなあ」「朝つらいなあ」「上司めんどくさいなあ」
とはじめは思うかもしれません。しかしこれから社会人なわけで、過去にすがってもなんら意味がありません。
今までの自分を捨て、【腹をくくる】方が心身の楽につながります。
この切り替わりの時期はどうしても心身が乱れるのでいつもより質こだわって過ごすと良いです。
- はやく寝る
- 腹6分を基準に食事をする
- 友人と遊ぶ
上記のように過ごすと身体はリラックスしますから次のバランスに切り替わりやすいです。
立禅で得た効果
- 毛細血管が開き、緊張と弛緩のコントロールが上手になった。
- 硬い部分と柔らかい部分の差が縮まった。
- 活気で満ちている。
- 精神が安定している。
まだ1ヶ月ですがこのような結果に。これからの成長が楽しみです。「今までは考えられないことが考えられるようになった」とか、「身体の使い方が変わってこういうことができるようになった」とか。
機能が変わるということは、構造も変化しているということ。
ゲームでいうところの、「技や呪文」の幅が広がっていく感覚です。レベル上げは地味ですが倒せる敵の幅もイコールで広がります。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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