あらゆる武術の基礎である立禅(たんとうこう)を1年半継続できています。まずこの状況にびっくり。これだけ続いているのはご縁があるのでしょう。
やりはじめから今までの軌跡をつづろうと思います。私なりの軌跡であり、文字のため誤解もあると思いますが恐れずに書きます。注意点ですが、これを真似ようとか感覚を追い求め故障しても責任をとることは一切できませんのでご了承ください。(そもそもこういった記事も必要ないはず。。。)
たくさんの人のご縁と、師匠方のご指導のもと安全にできていることを感謝いたします。参考程度に話半分でみてもらえたら幸いです。まだまだ未熟ですので鍛錬していきます。
今までの記事は下記から。
立禅を実践している最中におこること【身体内部編】
- 呼吸が深くなったり浅くなったりする
- 筋肉を感じられる割合が増える
- 骨を感じられる割合が増える
- 靭帯が痛くなる
- 循環が促進する
- 神経が蘇る
- 下腿が密になり地面に接する面積が増える
- 頭(つくる)の活動が減り、心(かんじる)の活動が増える
- 丹田が大きくなったり小さくなったりする
- 過緊張が減る
- 力のない場所にほどよい力が入るようになる
- 局所的な歪みが全身に分散される
- 調和される
立禅を実践している最中におこること 【意識、感覚編】
- 自己の内部に焦点が合う
- 呼吸に応じて全身の神経と循環がめぐる
- 自己を取り巻く外部環境に焦点が合う
- やがて自己も他者もなくなる
- 全身を○、風船、水、粒子と感じる
- 手とか足とか局所的部位の概念がなくなる
- 頭のざわつきを第三者の目線で客観的にみれる
- ふと、あのときの誰かの言葉を思い出す
- ふと、なにかを思い出す
- ふと、なにかが思いつく
- やがて過ぎ去ることを知る
- ただ感じることが在る
- わからないことがわかるようになる
- わかったことがわからなくなる
- 普段の観念が消える
- 表象界的、 形而上学的、叡智を獲得し、破棄する
- 普段の観念が蘇る
立禅を実践してからの生活
これまで立禅について記事を何個かアップしてきたことと重複します。ざっくり言うとこれです。【体力がついて身体能力全般が上がった!】
一日中動いていても平気になったり、小さな力で大きなものを動かせたり。腹の使い方を覚えられたり、身体のブラックボックスの組織を回復させることができたり。まわりの人のご縁が広がったりストレスがかかっても同時に解消ができていたり。ここまでくるのに時間かかりましたがやってきてよかったです。
マイナスの感情面を数多く溜め込んだ内臓の問題。。。過去の清算の終わりがようやく見えました。(まだまだあるけど、時間と稽古つめば解決する!)
スポーツや格闘技でもこれは可能ですが、ルートを誤ると他人と自分自身を傷つけてしまう方向にいきゴールが遠くなってしまったりする。スポーツ格闘技はすぐ実力はつくけど壁がすぐやってくる。そして引退する。(40歳以上で現役でやっている人少ないですよね。身体に鞭打って故障してしまう性質の運動のため。)
気功や武術はモロ一生修行の道ですが、一生かけて自分自身を整え自分自身なりの身体の使い方を完成させていく。医武同源という中国の言葉が何世紀も前にあるらしい。古代人の研究力がすさまじいことはもちろん、当時の身体能力や身体感覚は化け物じみたものがあったのでしょうね。その人らが言っていて、こうして今もその言葉が残っているということは真実なのでしょう。(弾圧やプロバカンダや陰謀は知らん。)
武術や気功は効果がちゃんと実感できるまで時間がかかります。私は治療をしている身なので繊細な感覚や緊張と弛緩を細かく感じる鍛錬はわかります。
やりつづけることで、確かに自分自身の身になっていく感覚があります。効果も1年前のものとは別次元。来年やこれからのことを想像すると楽しみで仕方ありません。
日常のすべてが立禅
鍛錬の時間、運動の時間というのは日常生活から外れた非日常的な感覚がありました。だからこそリフレッシュになったり充実感があります。
しかし、治療家からすると、これはいかがなものか。。。
身体の代謝を落として生活している時間=日常生活=習慣
この状態なんですよね。逆をいえば、
身体の代謝が上がる生活=立禅
端的にいうと立禅をやっている時間以外は代謝を落とす時間となるわけで、代謝がプラス1になっても日常でマイナス1になっているじゃ話になりません。(初学者、入門者はオッケーかも?)
効果を早く出したいとか、まだまだ目的があるとか、志のおもむくままにとか、より高次のものを得たいのであれば日常すべてをそのことオンリーに注ぐといいです。
立禅をやりはじめたときは、時間をつくって、かたちをつくって、意識を固めて、感覚を探して、考え方を押し付けて、といった感じでした。。。涙
今は立禅状態を維持できる時間が増えてきた気がします。
座禅と動禅は高難度のため未だ手出しできないでいる笑(やると全身がパンクする始末。。。)
まあ明日には今日よりできるだろうし、来年はまた成長できているだろうし、そんな感じでOK。
参考図書
立禅に飽き、辛さ、疑問、惰性などがでてきたら読むといいのかなと思う参考図書。
自分自身をつかいこなす
立禅は自分自身を知る手段だと断言する方もいらっしゃいます。心の在り方、物の見方、力の入れ方抜き方。世界の見方など。100人いたら100通りのものがあるので、自分なりのなにかがつかめたらいいのでしょう。
立禅をやってきて思うのは、生活のすべてで【ふんばる】【がんばる】【さがしにいく】をやりすぎていたなと感じます。これは主に頭の活動を差しています。観念や思い込み、比較対象を自ら作り、自らいばらの道を進む。
立禅のおかげで今はいばらの道のトゲやまがまがしさからかなり離れた世界にこれました!笑
改革の余地、稽古への没頭度、日常における精度はまだまだあるとおもうので、ひたむきに長い目でやっていこうと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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