今回は院の名前について。
この仕事に就きしばらく経とうとしております。
やりはじめ当初は右も左も分からず途方に暮れながらもしがみついた思い出があります。
それはもう周りのやさしい先輩方と厳格な師匠にお世話になりました。
知識としての教養、技術の練習、自身の体の使い方の訓練をせっせと取り組みましたが、そこには大変な矛盾がありました。
実際の患者さんと向き合い対面したときにそれら全てのことが活かされるかと思いきや、、、そこまで重要視することではなかったのです。
大事なことは、その場の雰囲気や流れを受け入れることだったりコミュニケーションが重要だったりと、現場と裏方の矛盾がとてもありました。きっとどの仕事でもそうなのでしょうね。
それに気づいて数年が経ちました。今思うと地道な勉強や体の鍛錬はそのときに活かされる武器ではなく。数年後に大きな武器に育つということです。引き出しがたくさんあればあるほどいろいろな患者さんに対応可能となりますし、だからこそ自分に余裕や安定をもたらしてくれます。
とても地道で地味で果てしない仕事を選んでしまいましたが後悔よりも目覚しい発展を遂げる未来に胸を躍らせています。
長くなりましたが、院の名前の由来です。
体や精神は時間の経過に逆らえないのは皆さん周知の通りです。
外部環境に適応するため、常にアップデートの連続となります(ある段階を越えると進化と定義されますが、ここではその意味を含みません)。
しかし「昔の自分に戻りたい」「昔のままずっと変わりたくない」「手放したくない」等の意識があることによりアップデートの処理時間がかかったり、【現実の今】とのズレが生じます(今やるべきことをないがしろにして他のことを考えている状態と同類)。
それらが重なると体は歪み、疲労しやすく、なにかがしっくり来ない、などと様々な悪夢を見せられます。
執念や野望は時には大きな成果をもたらすと思います。しかし個の執念が世界にマッチしなければそれらは淘汰され壊滅されます。
個は達成できなかったので、悔しいし、辛いかもしれない。
大自然、超現実は情け容赦ありません。
しかしそこに大きなヒントがあります。
大自然、超現実が求めること。それらの存在との調和、マッチングです。
とても曖昧で抽象的ですが大きな流れがあるなら、そこに乗っかることができるか否かで人生は大幅に左右されると思うのです。
中国の言葉で【行雲流水】というものがあり、私の少ない人生を振り返ったときに当てはまる言葉です。そしてこれからもこれは変わらないでしょう。【変わるもの】と【変わらないもの】これらはひとつ、矛盾ではありますが人間という愚直な生き物の顕れなのかもしれませんね。。。
その言葉の【流水】をとり、当院の名前にしました。
皆さんのお体のメンテナンスのサポートができたら幸いでございます。
体は自然の理に敵対することよりも、それらに執着せずに
自然の理にとことんあわせるのが健康の道だと思います。
ちなみに補足ですが。当院では患者さんに対して、自身の思想を押し付けるようなことはしませんのでご安心ください。
最後までご覧頂ありがとうございました。
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