【古代中国】老子の言葉【思想】其の七

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031~035まで記録していきます。生活の知恵、座右の銘、哲学としてご参考ください。

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031 戦争はやむをえない場合に限り、しかも最小限で行い、決して賛美するものではない

だいたい軍隊や平気というものは、不吉な道具である。

不吉な装具であるから、人々はこれを嫌う。

したがって「道」と一体の人は、軍事の現場には直接たずさわらない。

君子は普段の生活では左を上席としているが、軍事のときは反対に右を上席とするのである。

軍隊、兵器は不吉な道具であるから君子は直接かかわらない。

やむをえないときにこれを使うにしても、熱くならずに冷めて用いるようにするべきだ。

勝っても舞い上がって喜んではいけない。

それなのに立派なこととほめちぎるのは、人を殺すことを楽しみとしているということだ。

このように人を殺すことを楽しみとするような者は、天下において志を得ることなどできはしない。

一般に吉事の場合は左を上席とし、凶事の場合は右を上席とする。

軍隊において副将軍は左の座席につき、大将軍は右の座席につく。

これは葬儀の礼式にのっとっている。

戦いで人をたくさん殺したときは、悲哀の心をもって泣き、もし戦いに勝ったときも、葬儀の礼式にのっとって対処するのである。

032 止まることを知っている者は、危険な目に遭うことはない

「道」はいつも名がない。

まだ手を加えていないあら木は、小さくても世の中でこれを支配できるものはいない。

諸侯や王たちが、これをわかって守れるならば、万物は自ずから従うようになるだろう。

天と地は相い合して瑞祥(ずいしょう)の甘露(かんろ)を降らせ、人々は命令されなくても自然にまとまるであろう。

手を加えていないあら木が切られ、器がつくられ始めると名がつけられる。

名ができたならば、そこから差別が出てくるので、それを思いとどまることが求められる。

とどおまることを知っていると、危険に遭うことはなくなる。

「道」がこの世にあるさまをたとえてみると、いわば川や谷の水が大河や海に流れていくようなものである。

033 足るを知る者は富む

人のことがわかる者は智者であり、自分のことがわかる者は明智者(智者よりかなり上をいく)である。

人に勝つ者は力があるからであるが、自分に勝つ者は、本当に強い人である。

足るを知る人は富む(現実を愛し、現状に幸せを見つける人こそが豊かな人である)。

努力を続ける者は、すでに志を果たしていることである。

自分の本来の在り方を失わない者は、長続きする。

たとえ死んでも、「道」と一体の人は滅びることがない(「道」のままにあるので)。

これが本当の長寿である。

034 本物の大人物は、自分のことを大人物とは考えない

大道(偉大なる「道」)は、あふれ出た水のように、左にも右にもゆきわたる。

万物はそれを頼りにして生まれてくるが、「道」はそのことを言いふらさない。

功績があろうとも、その功名を得ようとしない。

万物をはぐくみ育てても、その主人とはならない。

いつでも無欲であるから、小と名づけることができる。

だから「道」と一体となっている聖人が大となりうるのは、自分から最後まで大とは考えないからこそ、逆に大きな存在となるのである。

035 「道」を守れば、すべてが平穏無事で落ち着く

「道」に従いしっかり守っていくと、世の中のすべてがうまくいく。

どこにいこうと害はなく、すべてが平穏無事で落ち着く。

音楽やごちそうとなれば、旅人も足を止めるものである。

しかし、「道」が語る言葉は、淡白で味もない。

見ようとしても見えず、聴こうとしても聞こえないが、「道」のはらたきはとても大きく、尽き果てることがない。


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