006~010 まで記録していきます。生活の知恵、座右の銘、哲学としてご参考ください。
006 万物を生む深遠なる母性
谷の神は不死身である。
これを玄牝(深遠なる母性)という。
玄牝の門(深遠なる母性の門)を天地の根源という。
ずっと続いて存在しているが、そのはたらきは尽き果てることはない。
007 私利私欲のない無私の人は、自分を貫ける
天は永遠であり、地は久遠である。
天地が長久であるのは、天地が自ら行き続けようなどとはしないからである。だから長く生き続けられるのだ。
同じように「道」と一体となっている聖人は、自分のことを後まわしにするが、かえって人より先んじ、自分のことを人の外側に置くが、かえって人に招かれてそこにいる。
これは無私、すなわち私利私欲がないからではなかろうか。
だからこそ、自分を貫いていけるのだ(自分を実現できる)。
008 上善は水のごとし
最上の善は、水のようなものである。
水は万物の生長をうながし、しかも争うことがない。
そして誰もが嫌がる低い場所に落ち着く。
だから道のはたらきに近いといえる。
住むところは自分の住んでいる所がよく、心のはたらきは奥深いのがよく、人との交わりでは思いやり(仁)があるのがよく、言葉はまこと(信)であるのがよく、政治としてはよく治まるのがよく、仕事では有能なのがよく、行動は時宜を得ているのがよい。
そもそも、争わないから、間違いもないのだ。
009 成功し偉そうな顔をしていると、いずれ身を滅ぼす
いっぱいに満たし続けるのは、やめたほうがいい。
刃物を鋭くするのは、限度を超えると長く保てなくなる(折れやすくなる)。
金銀財宝が家いっぱいにあると、守りきれるものではなくなる。
財産や地位ができ偉そうな顔をしていると、いずれ自ら身を滅ぼしていくことになる。
仕事をやり遂げたら、身を引いて引退する。
これが天の道である。
010 物事にこだわらない自然な生き方がいい(玄徳のすすめ)
さまよう心を身体を一つ(道)に落ち着けて、それから(道から)離れないようにすることができるか。
精気を集中して、しかも身体を柔らかくして、赤子のようになることができるか。
不思議きわまりない心の鏡を洗い、清めて、傷つけることのないようにすることができるか。
人々を愛し、国を治めるのに、無為でいられるか。
万物の変化に対して雌のように自然に受け止めて対応できるか。
あらゆることをわかっていながら、何もわからないかのようにできるか。
物を生み出し、それを養い、物を生み出してもそれを自分のものとせず、恩恵を施しても見返りは求めず、長となっても支配しいばったりしない。
以上が玄徳(奥深い本当の徳)というものである。
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