071~075まで記録していきます。生活の知恵、座右の銘、哲学としてご参考ください。
071 知っていることでも、まだわかっていないことがあると自覚する
知っていても、まだわかっていないことがあると自覚しているのが最上のことである。
わかっていないのに、よく知っていると思うのが欠点である。
そもそも欠点を欠点として自覚していれば、それは欠点ではなくなる。
「道」と一体となっている聖人に欠点がないのは、欠点を欠点として自覚しているからこそであって、だからこそ欠点がないのである。
072 人々を圧迫するような政治をしてはいけない
人々が統治者の威光というものを恐れなくなると、世の中は乱れていずれ大きな天罰がやってくるだろう。
人々の住むところを狭めてはいけず、人々の生業を圧迫しないからこそ、人々は嫌だとは思わないのである。
それゆえ「道」と一体となっている聖人は、自らをよくわかっているが、そのことを見せびらかしたりしない。
自らを大切にするが、偉そうにすることはない、だからあの見せびらかしたり、偉そうにすることを捨てて、このような自分を大切にし、偉ぶらない無為の政治を取るのである。
073 天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず
何事も積極的にやっていけば、殺されることになり、積極的にならないように勇気を出して戒めていくと生かされる。
この両者には、一方に利があり、一方に害がある。
しかし、天が何を嫌うかについては、誰にそのわけがわかろうか。
「道」と一体である聖人でさえ、それを知ることは難しいのである。
天の「道」は争わずにうまく勝つことができ、何も言わないのにうまく応答し、招かなくても自分から来させることができ、ゆったりとしていても、うまく謀ることができる。
天の張った網はとても広大で、網の目は粗いように見えるが、何も漏らすことはないのである。
074 圧政を行えば悪い結果ばかり起きてしまう
人々が圧政で死をも恐れなくなったとしたら、死刑でもって人々をおどすことができるだろうか。
もし人々が常に死を恐れているなら、秩序を乱す者が出たら、私はそれを捕らえて殺すことができるが、どうしてもあえて殺す必要があろうか。
この世には常に、人を殺すことをつかさどるものに天道があるのである。
それに代わって殺すことを、大工の名人に代わって木を切るという。
そのように大工の名人に代わって木を切れば、自分の手を傷つけないで済むことはまれなことである(自分自身も損なうことになるだろう)。
075 税を多く取りすぎてはいけない
人々が飢えに苦しむことになるのは、上に立つ者が税を多く取り過ぎるからで、そのために飢えるようになるのだ。
人々を治めにくくなるのは、上に立つ者があれこれと余計な政策を行って私生活に介入するからで、そのために治めにくくなるのだ。
人々が死を軽んじるのは、上に立つ者が自分の生活を厚くすることばかりを考えるためで、そのために死を軽んじるようになるのだ。
そもそも自分の生きることについて執着しない者こそ生きることを貴ぶ者よりまさっている。
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